アーシュラ・K・ル=グウィン
読んだことあるかなー。

アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929年10月21日 - )は、アメリカの女性小説家でSF作家、ファンタジー作家、フェミニスト。

『辺境の惑星』
『ロカノンの世界』
『闇の左手(The Left Hand of Darkness)』
『幻影の都市(City of Illusions)』
『所有せざる人々(The Dispossessed)』
『風の十二方位(初期作品を主に収録した短編集)』
『天のろくろ』
『世界の合言葉は森(The Word for World is Forest)』
『マラフレナ(Malafrena)』
『オルシニア国物語』
『ゲド戦記』
『西のはての年代記(The Chronicles of the Western Shore)』 Gifts, Voices,Powers
『オールウェイズ・カミング・ホーム(Always Coming Home)』
『内海の漁師(A Fisherman of the Inland Sea)』1995

読んだことないなー。
【2008/09/01 23:07】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
ジャンニ・ロダーリ
どんな作家さんかしら。

ジャンニ・ロダーリ(Gianni Rodari, 1920年10月23日 - 1980年4月14日)は、イタリアのジャーナリストであり、また特に児童文学に力を注いだ作家である。彼の作品は、イタリア本国に留まらず、日本をはじめ、世界中で翻訳されている。

読んだことあるかな?
【2008/08/31 23:08】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
アーサー・ランサム
読んだことあるかな?

アーサー・ランサム(Arthur Ransome、1884年1月18日-1967年6月3日)は、イギリスの児童文学作家、ジャーナリスト。

『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで知られる。 カーネギー賞の第1回受賞者(1937年 Pigeon Post )。

読んだことないなぁ。
【2008/08/30 23:01】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
トーベ・ヤンソン
何書いたっけ?

トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson、女性、1914年8月9日 - 2001年6月27日)は、フィンランドのヘルシンキに生まれたスウェーデン系フィンランド人の画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家である。

彫刻家の父ヴィクトル・ヤンソンと画家の母シグネ・ハンマルステンの長女(兄弟は弟が2人)として生まれ、自然に絵を覚えた。父がスウェーデン系フィンランド人、母がスウェーデン人だったため、トーベはフィンランド語よりもスウェーデン語が得意で、作品の執筆はスウェーデン語で行われた。15歳で政治風刺を中心とする雑誌『ガルム』の挿絵を描き始める。10代から20代にかけてはストックホルムの工芸専門学校、ヘルシンキの芸術大学、パリの美術学校などへ通った。代表的なキャラクターのムーミン・トロールは、小説としての『ムーミン』シリーズの執筆(1939年、発表は1945年)よりも早く1944年頃から『ガルム』誌に挿絵として登場する。1966年に国際アンデルセン賞作家賞、1984年にはフィンランド国民文学賞を受賞。

日本ではあまり知られていないが、一般向けの小説(トーベ・ヤンソン・コレクションとして刊行)も多く書いている。それはムーミンシリーズ誕生60周年の2005年からあいついで文庫本(『トーベ・ヤンソン短篇集』・『誠実な詐欺師』)として発刊され、日本でも再評価の熱が高まっている。作家として世界的に有名であるが、本国フィンランドでは画家としての評価も高く、特にフレスコ画の手法を用いた国内の公共建築の壁画など多く作品を残している。

私生活でのパートナーはグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラ(tuulikki Pietila、1917年2月18日 - )。彼女は、ムーミン谷博物館に納められた数多くのムーミンフィギュアやムーミン屋敷の制作でも知られ、作品『ムーミン谷の冬』『ムーミン谷の11月』に登場するトゥーティッキー(おしゃまさん・おでぶさん)のモデルともなっている。

また、二人が30年近く夏を過ごし、多くのムーミンシリーズを含む作品が生み出されたバルト海のクルーヴハル島での生活は、1993年映画『Travel with Tove』、1996年、クルーヴハル島の記録『島暮しの記録』(トゥーリッキの挿し絵)出版、1998年クルーブハル島での生活の映画『Haru - the island of the solitary』に垣間見ることができる。

1971年と1990年の二度、来日している。


来日してたんやねー。
【2008/08/29 22:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
L・M・モンゴメリ
アンや!アンー!

ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery、1874年11月30日 - 1942年4月24日)はカナダの小説家である。『赤毛のアン』の作者であり、本作を第一作とする連作シリーズ「アン・ブックス」で良く知られている。彼女の小説は英語で記されている。

ルーシー・モード・モンゴメリは1874年11月30日[1]に、カナダ東部プリンス・エドワード島のクリフトン(現在のニューロンドン)で生まれた。モンゴメリが生後21ヶ月のとき、母クララ・ウールナー・マクニール・モンゴメリが結核で亡くなると、父ヒュー・ジョン・モンゴメリはカナダ西部へ移住したため、モンゴメリはキャベンディッシュに住む母方の祖父母、アレクサンダー・マーキス・マクニールと、ルーシー・ウールナー・マクニールに厳しく育てられた。 1880年には父と継母と暮らすため、サスカチェワン州のプリンスアルバートに送られたが、1年後にはプリンス・エドワード島の祖父母の家に戻っている。

1893年。キャベンディッシュでの中等教育を終えたモンゴメリは、シャーロットタウンのプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジへ進学した。2年分の科目を1年で終え、1894年に一級教員の資格を取得した。1895年から1896年にかけてノバスコシア州の州都ハリファックスのダルハウジー大学で文学を学んだ。

島にあるさまざまな学校で教師を務めたあと、1898年に祖父を亡くし、未亡人となった祖母と暮らすためにキャベンディッシュに戻った。1901年と1902年の短期間、ハリファックスで新聞社のデイリー・エコー社に勤め、1902年に祖母の世話をするため、再びキャベンディッシュに戻った。ちょうどこの頃、すでに雑誌向けの短編作家としてキャリアを積んでいた彼女は、最初の長編を書く気になったという。1906年に長老派教会牧師ユーアン・マクドナルドと婚約。1908年最初の長編小説『赤毛のアン』を出版し、世界的ベストセラーとなる大成功を収める。ユーアン・マクドナルドとは祖母が亡くなった直後、モンゴメリ36歳の1911年7月11日に結婚し、英国・スコットランドへの新婚旅行の後、オンタリオ州リースクデールに移り住んだ。

モンゴメリは続く11冊の本をリースクデールの牧師館で書いた[2]。1926年に一家はノーヴァルの教区、(現在のオンタリオ州ハルトン・ヒルズ)に移住した[3]。

1935年にフランス芸術院会員となり、また、大英帝国勲位も受けた。同年一家はトロントへ移った。モンゴメリは1942年にトロントで亡くなった。死因は「冠状動脈血栓症」である[4]。グリーン・ゲイブルズおよび教会での葬儀のあと、キャベンディッシュ墓地に葬られた。

モンゴメリのコレクションはガルフ大学に所蔵されているほか、プリンスエドワードアイランド大学にあるthe L.M. Montgomery Instituteがモンゴメリ関連の研究や会議をコーディネートしている。モリー・ギレンは、モンゴメリとマクミランが交わした40以上の手紙を元にモンゴメリの初めての伝記「The Wheel of Things: A Biography of L.M. Montgomery (1975) 」(邦題『運命の紡ぎ車)を著した。1980年代初め、モンゴメリの全日記がマリー・ルビオとエリザベス・ウォーターストンの編集でオックスフォード大学印刷局から刊行された。1988年から1995年にかけて、リー・ウィルムシュルストがモンゴメリの短編を収集して出版した。

1908年の『赤毛のアン』の成功の後、1909年の第2作『アンの青春』など、『赤毛のアン』シリーズ(アン・ブックス)を含め生涯に20冊の小説と短編集を書いた。特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40ヶ国語に翻訳されるなどの成功を収めた。

『赤毛のアン』は日本では、1952年に村岡花子により翻訳・紹介され、主に少女たちの間で熱狂的に愛読された。のちに、中学の国語の教科書に収録され、1979年に世界名作劇場シリーズでテレビアニメ『赤毛のアン』として放映された。現在でも若い女性を中心に人気があり、モンゴメリの生地、プリンス・エドワード島を訪れる日本人観光客は増加の一方を辿っている。近年はモンゴメリゆかりの屋敷や教会で結婚式を挙げるカップルまでいる。

なお、少女期から『赤毛のアン』を愛読していた作家の松本侑子は、1990年代に原書で読み直したところ、中世から19世紀にかけてのイギリス文学のパロディが、大量に詰め込まれていることを発見し、1993年に詳細な注釈つきの『赤毛のアン』の改訳版を刊行した。

アニメ、好きやったなー。
【2008/08/28 22:57】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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